TOP

Vol.52 2013年6月5日(水)
 「研修をお願いしたいんですけど」
 「はい、わかりました。で、どうして研修をお考えなんでしょうか?」
 「実は、困っているんです・・・」
 「詳しく話してもらえますか?」
 「ある事業部の営業マンのやる気が低く、新製品が売れないんです」
 「それはお困りですね。」
 「はい。困っているんです。営業マンのやる気を高めたいんです」
 「それだったら、営業マンにこれから10年ほど先までのキャリアを考えてもらいましょう。”10年後のありたい
姿”をしっかり固めて、そこにたどり着くまでにやるべきことをしっかり考えてもらいましょう。そうすれば、今の仕事
の意味をしっかり考え、そしてやる気が高まりますよ」
 「ほー。そんなやり方があるんですか。そりゃいいですね。キャリア、それでよろしくお願いします」

 おしまい。めでたしめでたし。

 現実はこんなに単純ではないですよね。 論点を分りやすくイメージしていただくために、論点を事例に折り込み、また事例を単純化しました。

  さて、上記のやりとりにはどのような問題が隠れているのでしょうか。

 問題 その1 そもそも、モチベーションを上げる方策(目的)として「キャリアを考えさせる」こと(手段)が適切なのか?

 問題 その2 そもそも、モチベーションを上げれば(目的)、新製品は売れるのか?

 問題 その3 そもそも、新製品が売れる状況にあるのか(背景)?リストラ等、他にもっとふさわしい選択肢があ
        るのではないか?

 キーワードは、”そもそも”です。
 ”そもそも”は、無意識に当たり前としていることについて、批判的に、内省的に、「本当にそれでいいのか?」と
いう問いを投げかける際に、本質を探求する際に、そのきっかけとするにはとても重宝な言葉です。
 「”そもそも”と考えるリーダーを育成する」「社内にそもそも”と考えるマネジャーを増やす」ことを支援(教育)する
案件が増えています。
 ”そもそも”と考えないリーダー、マネジャーが増えているようです。背景に、やることがたくさんあり、”そもそも”と
考える時間を捻出できない状況の増加があります。”そのそも”思考のためには、それなりの余裕が必要です。
 イノベーション、徹底的なコストカット、新製品・サービスの開発、新規事業への取り組み・・・。経営資源の制約
の中、目まぐるしい環境変化に適応するため、組織は必死に打ち手を考え、実践に移す必要があります。
 ”そもそも”と考えるリーダー、マネジャーの存在は、組織にとって極めて重要(貴重)です。

 私は、今ほど管理職に仕事の優先順位の「力」が必要な時代はかつて一度もなかったのではないか、と思いま
す。そして、その力の根幹が「そもそも、と考え抜く」力です。パターン化された仕事をこなすのは単なる作業です
が、ルーチンの仕事をパターン化するのは「考える力」です。そして、こうして捻出した時間が、また考える環境を
保証してくれるのです。会社そのもののあり方、企業と社会の関わり合い、経済活動の意味、働くということとは何
か・・・すべてを根本から考え尽くす、という姿勢を持たない限り、いつまでも日本という国の明るい未来は見えてき
ません。

 柴田昌治(2012)『考え抜く社員を増やせ』日経ビジネス人文庫pp.8-9

 ”そもそも”と考える力の育成を支援(教育)する有益な学習モデルとして批判的学習モデルがあります。

 批判の対象は自分自身、特に自分の置かれた状況を無批判に“当たり前”と見なす姿勢である。つまり、自分の
行動や考え方について、学習者自身が“あるべき姿”を描くプロセスを重視し、自分自身の状況を意識的に省察す
ることを通じて、現状に対する問題意識を育むことが、批判的思考の目指す学習(批判的学習モデル)である。
 中原淳(2010)『企業内人材育成入門』ダイヤモンド社pp.91

 批判的学習モデルをベースに人材育成をご支援させていただく際は、つまり、『当たり前だ』『常識でしょう』『疑う

なんておまえどうかしているぞ』と無意識に思っている・考えていること、あるいは意図してそのように思いたいこ
と・考えたいことについて、『そうじゃないだろう』『これって間違ってんじゃないか』『本当にそれでいいんだろうか』
と思う・考える、そしてそれを発信する能力の向上を目指す際は、組織の中の人の力だけでは限界があることが
多く、私のような、組織の外の者に声がかかります。
 誰が言い出されたのか存じませんが、組織を変えるのは、『よそ者』『バカ者』『若者』という主張があります。この
主張の3つのタイプに則れば、組織の中の人にとって、見境なく、恥ずかしげもなく、ネチッコク、当たり前過ぎてし
ちゃならない質問をしたり、異と唱えたりする私は、ある時は、組織内の常識を知らない『よそ者』であり、またある
時は、『バカ者』と映るようです。さすがに『若者』と思ってくれる人は少ないですね。残念です(笑)。

 ”そもそも”思考は大切です。同時に、「”そもそも”を適切に使いこなせているか」とわが身を振り返ることも大事
なことかと思います。”そもそも”は大きな力を秘めているからです。強い武器ですので取り扱い要注意なのです。
 たとえば、「そもそも・・・」と切り出されると、あまり良い感じがしない状況の方が私は多いように思います。”そも
そも”には、『水を差す』力や、『批判する』力が秘められています。

 ”そもそも”の形態で批判してばかりの組織や人にも出会います。お気の毒としかいいようがありません。

 批評ということは必ずしも悪いことではありません。否、批評知には、一種独特の鋭さがあって、なかなか馬鹿に
ならぬものですが、ただいつまでもその段階にとどまっていい気になっていますと、大馬鹿に陥る危険が多いので
す。つまり批評知そのものが悪いというわけではありませんが、同時にそのままいい気になっていたんでは、人間
も真の成長はしないわけです。
 森信三(1989)『修身教授録』致知出版社pp.499

 まあ、偉そうに”そもそも”思考について述べましたが、自分が適切に”そもそも”思考できているかと問われれ
ば、はなはだ疑問です。平均的な人よりも”そもそも”思考を意図して、適切に使おうと努力していることに自信は
ありますが・・・。精進するしかないですね。

Vol.51 2013年4月25日(木)

 新大阪駅で朝食を食べていると妻からメールが入りました。
 『S(私の子供)が「帰りたい」と泣いている・・・』

 Sは、妻とともに、この4月から、十数年暮らした鷺沼(川崎市宮前区)を離れ、室見(福岡県福岡市早良区)での
新たな暮らしをスタートさせました。Sは新たな暮らしにまだ慣れていません。
昨晩、鷺沼にいる小学校時代の友達とスカイプしたことも影響しているのかもしれません。

 
繋がる(スカイプ等する)メリットは山ほどあります。そして、そうとは言い難い重大な負の側面もあるように思いま
す。恩師のO先生は、繋がりたがる私(たち)に、「今後一切繋がらない」と三行半を突き付けました。私(たち)は
目を覚まされました。
 コラム『別れ 学習の支援』 
http://www.kkkiduki.jp/article/14697251.html

 
妻とSはどうして福岡に居を移したのか。
 目的は複数あります。

 目的の一つは、『母との約束を”少しは”果たす』ためです。
 十数年前、私は、福岡から上京するにあたり、『7〜8年で(福岡に)戻ってくる』と母と約束しました。 「約束は守れないだろうな・・・」「でもそう約束しないと母は心の健常さを保てないだろうな・・・」「東京に行きたい(福岡を出たい)・・・」。当時、私はこんな風に、漠然と、思っていました。
 案の定約束は守られることなく、そしてそれでも約束が果たされることへ期待しつつ母は2年前に他界しました。
 母には申し訳なく思います。 基本、悔いてはいません。

 私は今も東京に、妻とSは今は福岡に居ます。
 妻・Sと私は離れ、それぞれの世帯で、この十数年とは多少異なった暮らしを始めました。
 私も、妻も、子も、皆、取り巻く環境が、大なり小なり、変わりました。
 これも、妻とSが福岡に居を移した目的の一つです。

 妻とSと私とで、この十数年間と同じように暮らす日常を、”敢えて”変えることから生ずる効用を、気分を一新することのメリットを、私は強く感じたのです。

 「日常に”敢えて”節目をつける必要性を感じた」と言ってもいいのかもしれません。

 コラムB『もがき苦悩する必要性 節目・トランジション』
 http://www.kkkiduki.jp/article/14226681.html

 日常には、マンネリズム、退屈、活力の低下等のリスクが秘められています。 

マンネリズム【mannerism】
 一定の技法や形式を反復慣用し、固定した型にはまって独創性と新鮮さを失うようになる傾向。マナリズム。
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]

 これらの民俗学者はケ、すなわち普段、ないし日常的という状態はそのまま放置しておくと、だんだん元気がなく
なって枯れてゆく性質のものなのではないか、というふうにかんがえたのです。そんなふうにケが枯れてくると、そ
こに「ケガレ」という状態がうまれます。ケということは気という観念にもつながるのでしょうが、日常性というのはお
たがい体験的にしっているようにおおむね退屈なものですから、だんだん元気がなくなってきます。そんなふうに
元気がなくなった状態、気が枯れた状態がケガレなのです。このようなケガレの状態からは、なんとかして脱出し
なければなりません。その脱出手段として、ハレという場面を用意して、もういちど活力をとりもどそう、というわけで
す。つまり、一種のリフレッシュ運動がハレということだ、とこれらの民俗学者はいいます。このようにハレとケのあ
いだにケガレという観念を導入することで、ケ・ケガレ・ハレというサイクルができあがったのです。

加藤秀俊(1995)『人生のくくり方 折目・節目の社会学』日本放送出版協会pp.9-10 

昨年から今年にかけ、あるクライアントに「今のままでは●●●●となってしまう」「変わるしかない」「変わるなら今
だ」との類のことを、ずっと言ってきました。理解、納得、共感していただくことを試みてきました。そんなこと、私は
偉そうに言えるのか(言う資格があるのか)

。紺屋の白袴※。苛立ちを感じずにはおられません。このような苛立
ちを、この10年あまり、私は絶えず感じています(感じてきました)。積りに積もったこのような苛立ちも、「この十数
年の暮らし(日常)を変えたい」との強い衝動の源泉の一つなのかもしれません。

 ※
紺屋の白袴
 他人のためにばかり忙しくして、自分の事をする暇のないことをいう。
 [株式会社岩波書店 広辞苑第五版]

 マネジメントディスカバリーのコンセプトの一つに”生まれ変わり”があります
 オープンセミナー マネジメント・ディスカバリー 
 
http://www.kkkiduki.jp/article/14698973.html

 詳細は割愛させていただきますが、マネジメントディスカバリーのコンセプト”生まれ変わり”は、『全く変わる』『仕
切り直し』『自然体』『稼働域の拡大』など多様な概念を含んでいます。

 私は、『生まれ変わりたい』『生まれ変われる』『(少なくとも)生まれ変わる気概はずっと持ちたい』と思っていま
す。また、
生まれ変わるのは、基本「簡単でない」との基本認識を持ちつつも、一方で「ものすごく簡単なことかもしれない」とも思っています。

 Sはこの春から中学生です。疾風怒濤の時代を迎えようとしています。
 Sは、S自身が、私や妻が、Sと関係する方々が好むと好まざるとにかかわらず、意識的に、あるいは無意識であ
れ、環境に適応しようと、あっちこっちにぶつかりながら(不器用に)、実直に、程度の差はあれ、生まれ変わるの
だろうと思います。
 『あっちこっちにぶつかりながら(不器用に)』はSの強みです。この強みを存分に発揮しながら、活かしながら、S
には生まれ変わって欲しいと思います。

 自分らしさを大切にすることも大事ではないか。

たしかに、自分らしさを大切にすることは大事です。 Sの長い人生においてSが経験するであろう環境の厳しさ、環境変化の激しさに視座を置くと、基本、『「自分らし

さ」を大切にする力と同等かそれ以上に、「自分らしさ』を塗り替えていく(=生まれ変わりを継続する)※不器用※
なチャレンジ力※を鍛える方が、これからしばらくの間、Sにとってはより価値があるような気がします。

 ※『塗り替えてい』上でベースとして必要な能力・経験・資源等
    自己効力感、見通しの持ち方、道筋のつけ方、理想像、内省、楽観性、具体策、支援者etc. 
    → 学術上の知見と多少は一致しているかとも思いますが、あくまで木下の経験上の勘(観)です。

 ※『不器用』という言葉に込めた意
    あっちへ行ったりこっちへ行ったり、喜んだり落ち込んだり、三歩進んで二歩さがる

 ※『チャレンジ力』という言葉に込めた意
    生まれ変わるには大なり小なり葛藤や恐れがあり高い崖から翔び出すような気概や勇気、度胸も必要なこ
    とが(往々にして)ある。気概、勇気、度胸が生まれ変わりの鍵を握っていることもある。

 『●●らしさ』を大切にすべきなのか(大切にしたいのか)、『●●らしさ』を塗り替えるべきなのか(塗り替えたいのか)。成果を継続的に手にする上で、組織においても、個人においても、私は重要な問いであるような気がします。

 Sについての言及が続きました。『紺屋の白袴』はまっぴらごめんです(Sに『(父は)紺屋の白袴だ』とは思われ
たなくい)。私がビジネス環境にフィットし続ける、私や妻がSとの関係の良好さを今後も維持する etc.。未来から
逆算的に、目的的に、今の私、今の私や妻を振り返ると、「私は、私や妻は、生まれ変わる必要がある部分も有し
ている」と考えるべきなのでしょう。生まれ変わることを意識して、生まれ変わる具体策を明らかにし、実践し、”(退
屈な)日常”を、大事に、有意義に、過ごそうと思います。

 妻とSが福岡に居を移した理由。

 このGWに私からSに(多少)伝えようと思います。

Vol.49 2013年2月24日(日)

 先に断っておきます。本記事は”さくら”でも”ステルス”でもございません(笑)。
  http://www.kkkiduki.jp/article/14239746.html

 「先生、このテーマでいいでしょうか?」
   
「・・・・」

 実習生は、私が回答する気がないことを悟ると、私から回答を得ることをあきらめ、自分で、「実習で取り組むべきテーマとして何が相応しいか?」について、実習先である企業の中をうろうろと、歩き回るようになります。

 私がインストラクターを務める経営診断実習で、実習の特に初期段階で、よくあるシーンです。
  経営診断実習 http://consul.jpc-net.jp/mc/consulting/management/diagnosis.html
         http://consul.jpc-net.jp/mc/consulting/management/case_201207A.html

 たくさんのテーマ候補の中からどのテーマに的を絞るのか。時間(期間)は限られています。実習生は、限られた
時間(期間)でテーマに沿って現状を分析し、しかるべき改善や改革の方向、具体策を実習先の企業に報告しな
ければなりません。

 テーマ選定を誤ると、テーマが大きすぎて限られた時間では分析や検討が十分にできずに報告するレベルに至
らないことが、逆にテーマが小さすぎて「この程度のテーマについて報告されても役に立たない」と実習先の企業
からお叱りを受けることが、起こりえます。

 自分の能力(知識、スキル、態度等)では解けないテーマを選定してしまう実習生がいます。テーマがモノになるかならないか。実習生は、(そして私は実習生に以上に)かなりの焦り、プレッシャー、葛藤を感じます。

 自身が興味を持つテーマに取り組みたいとの想いを抱く実習生もいます。「実習を”楽”に乗り切れるか否か」の観点でテーマを見極めようとする実習生も(たまに)います。

 テーマが分かれば、あとは解くだけ。 テーマを分かることは極めて重要であり、また難しい。テーマ選定が実習
先企業の期待に応える報告をする上で極めて重要な鍵を握ります。実習生がテーマ選定に慎重になることは当然
です。

 テーマ選定のリスクや想い、思惑は、テーマ選定について、過剰に慎重になる実習生を生み出しもします。テーマ選定に、過剰に慎重になる実習生に対して私が申し上げることは毎回ほど同じです。

 ●膨大な情報(定性情報・定量情報)のシャワーを浴びるため実習先企業内を”うろうろ”して、テーマを探してくだ   さい。
 ●そして、これがテーマとなりうると判断したら、とにもかくにも、それが最後の報告の体を成すまでいきつくかどう  か分からなくても(不安であっても)、そのテーマを突き進んでください(深堀りしなさい)。
 ●「こりゃテーマとしては×だな」と判断したらそのテーマで突き進むことは諦めてください。先のテーマ探しの同様
  に、”うろうろ”して新たなテーマを探してください。先に諦めたテーマを見出した時よりも、おそらく、短い時間で
  新たなテーマを見つけることができるはずです。

 ●最終的に報告の体を成さない可能性があります。それで結構です。突き進んだ(深掘りした)ところまでを報告
  すればそれで十分です。

 なぜなら、
 ●そもそも、1日、2日の短期間で、現実の企業の改善や変革に効く適切なテーマを選定することは 至難のわざ
  です(と私は思っています)。変に要領よく、”こじんまり”とした診断やコンサルティング、報告の癖を身につけて
  欲しくありません。

 ●ある程度深掘りしないと、何も分からないことがよくあります。何も分からないまま皆さん(実習生)を漂流させた  くはありません。
 ●逆に、ある程度深堀りすると、何かが分かことが大半です。何かが分かれば、それがヒントになり、芋づる式
  に、他の何かも分かることが多いのです。
  ●効果(成果)をあげることができる見込みを立てることが先です。それから効率を高める(良い意味で”楽”をす
  る)ことを目指してください。『効果→効率』の順を守ってください。

 ●私の実習で、このやり方で、報告の体を成さない報告となった事例は一度もありません。
 ●仮に報告の体を成さないとして、その責任は、原則、インストラクターである私に帰されるべきです。あなた(実  習生)の責任ではない。
 ●私は、皆さん(実習生)に、グライダーと飛行機を兼ね備えた方になって欲しい、と僭越ながら、思っています。

 人間には、グライダー能力と飛行機能力とがある。受動的に知識を得るのが前者、自分でものごとを発明、発見
するのが後者である。両者はひとりの人間の中に同居している。グライダー能力をまったく欠いていては、基本的
知識すら習得できない。何も知らないで、独力で飛ぼうとすれば、どんな事故になるかわからない。

しかし、現実に
は、グライダー能力が圧倒的で、飛行機能力はまるでなし、という“優秀な”人間がたくさんいることもたしかで、し
かも、そういう人も“翔べる”という評価を受けているのである。

 外山滋比古(1986)『思考の整理学』筑摩書房pp.13-14

 やみくもに”うろうろ”させてもいけないし、”うろうろ”させないといけないし・・・。

 私は”うろうろ”させられてここまで来たのでいいのですが、そんな経験が乏しい方にどう”うろうろ”させればいい
のか、よく分からないまま、勘と経験で”うろうろ”させています。最後は立派な報告となっているから良いと言えば
良いのですが、”うろうろ”がフィットしない(効果的・効率的な学習プロセスとは言えない)実習生もいるでしょう。
私にとって、

”うろうろ”のマイセオリーを整理すべき時期が到来しつつあることを感じます。

  経営診断実習は、実習生にとって、そして私にとっても、グライダーとして学習した知識を実践で試したり、現実
に適用したりする上で、また飛行機力を培う点で、極めて有効かつ貴重な能力開発の場です。様々な経験を積
み、問題意識を醸成し、将来の研究分野の萌芽に気づく場でもあります。

 経営診断実習 http://consul.jpc-net.jp/mc/consulting/management/diagnosis.html
        http://consul.jpc-net.jp/mc/consulting/management/case_201207A.html

うろついてテーマを探すプロセスは、京の町家で自分の住むべき貸し部屋を探すのに似ている。京の町家は、表
通りに面した入り口は狭く、奥へ行くと広がっている。そして、表から見ると似たような町家がたくさん並んでいる。
その中から自分が住みたいと思える部屋をどうやって見つけるのか。

表通りから表面的に見たのでは、部屋の様
子などわかりはしない。入り目が狭いから家全体がよくなさそうだと思うとそれも大間違い。とにかく、狭い入り口を
勇気を出して入ってみて、奥の広い部分にある多くの部屋を見せてもらうしかない。居心地がよさそうな部屋が見
つかるまでには、何回も出たり入ったりが続きそうだ。そして、何回も違う入り口から少し違う間取りの家に入って
みるプロセスは、うろうろしているばかりでなくなんとなく土地勘を養っているプロセスにもなる。

 伊丹敬之(2001)『創造的論文の書き方』有斐閣 pp.117-118

Vol.48 2013年2月21日(木)

  私が小学校3年生の時、親父の兄が不慮の事故で他界しました。親父の兄は、戦中・戦後と、波乱万丈の人生を送っての旅立ちでした。

 「お父さん、何で泣かないの?」。

 「男は、人前で泣いてはいけない時がある」。

  「へー(驚 → 尊敬)」。

  このことを同級生のS君に話しました。

 「泣きたければ泣けばいい。我慢するのはおかしい」。

  「へー(驚 → 怒・不快 → 疑問、尊敬?)」。

 S君の言葉に驚き、尊敬する父を侮辱されたような不快な感情が、そのうち疑問がわいてきました。そして、S君は凄いな、とも感じました。

 「あの時のS君に会い、彼の真意を聴いてみたい」。この歳になり、時々思います。

 同じ事象や出来事であってもそれらへの反応は人様々です。 

Aとは activating event のことであり、その後の反応を導き出す原因となる出来事のことである。賦活事象と
訳されることもある。Bは belief であり、信念(ビリーフ)と訳される。これはAについての思考や信念などの認知
的変数を表す。Cは consequence であり、Bから生じた情動的あるいは行動的結果であり、反応を表す。結果C
は、クライエントの目には賦活事象Aが直接引き起こすかのように見える。だが、じつはその間に信念Bとよぶ認
知スタイルが存在する。

中島義明、安藤清志、子安増生他(1999)『心理学辞典』有斐閣 pp.266

Amazonロゴ小

心理学辞典←click!

 「同じ事象や出来事であってもそれらへの反応は人様々」を実感(学習)させてくれる人物は、その後の私の人

生にはあまた登場します。S君はそれらのなかで私の意識に登場する最初の人物なのかもしれません。

  様々な反応の存在を、様々な場面で実感(学習)してきましたが、例えば上記のABCシェマなどの理論として、
体系的に、系統だって、学習したのは(教育を受けたのは)、20代後半の頃です。小学3年の頃から20年も経っ
てのことです。私の学習は、20年の時を経て、教育によって、腑に落ち、明確に意識できるものとなりました。

 学習と教育は似て非なるものです。

 比較的低度のものは、ほうっておいても生活するなかで自然に学習できます。しかし,高度なものは、自然のうち
に学習することは難しく、意識的に努力をする必要があります。また、それだけは十分でなく、他者の手を借りる必
要があるものも出てきます。高度であるもの,かつその社会にとって不可欠であるとみなされるものを、人生の先
輩格の人びとは、後から生まれる後輩に対して、後輩たちが早く確実に学習を行えるようにと助言を始めます。そ
れがすなわち、教育の発生です。つまり教育とは学習を確実にするための方法です。

 関口礼子他(2002)『新しい時代の生涯学習』有斐閣 pp.7-8
  ↓
●人は、低度のことは、特段に教育を受けずとも、自然と学習している。
●高度なこと(自然に学習することは難しいこと、意識的に努力する必要があること)の学習には教育が必要である。
●教育は、高度な学習を確実ならしめるための手段である。

  学習
 ①まなびならうこと。
 ②〔教〕過去の経験の上に立って、新しい知識や技術を習得すること。広義には精神・身体の後天的発達をいう。
 ③〔心〕行動が経験によって多少とも持続的な変容を示すこと。
 [株式会社岩波書店 広辞苑第五版]

 教育
 ① 教え育てること。人を教えて知能をつけること。人間に他から意図をもって働きかけ、望ましい姿に変化させ、   価値を実現する活動。「新人を―する」「学校―」「社会―」「家庭―」
 ② ①を受けた実績。「―のない人」
 [株式会社岩波書店 広辞苑第五版]

 私は、研修であれ、コンサルティングであれ、なんであれ、人材育成に関わる際には、以下のことに常に心がけるようにしています。①教えるべきこと(高度なこと、学習するにあたり意識的に努力する必要があること)と学習させること(低度なこ  と、意識的な努力は必要としないこと)を区別する。
②教えるべきは、高度なこと(学習するにあたり意識的に努力する必要があること)のみ。
③低度なことは教えない。学習させる。学習を促進する環境を整えてあげる。

 高度か、低度かは、教育を受ける側(の能力レベルの現実)を起点とします。教育する側(が想定する教育対象者の能力レベル)が起点となるわけではありません。教育する側はあくまでわき役です。

 教育とはあくまでも、“支援”であり、人材育成という活動における主体者は学習者である。
 中原淳他(2006)『企業内人材育成入門』ダイヤモンド社 pp.68

Amazonロゴ小

企業内人材育成入門 ←click!

 学習と教育の混乱(区別しない、区別できない・・・)は、過剰な教育や逆に放任(教育を必要としている者に適切
な教育を施さない)を引き起こすなど、巷をにぎわせている人材育成機能不全論の背景の一つとなっているように
思います。

Vol.47 2013年2月5日(火)

 S君へ
 うまくいかなかったようですね。
 うまくいく方がいい。でも、うまくいかないことも多い。

 
うまくいくことで得る(分る)ことは多い。
 成功パターン。自信。自己効力感。ポジティブな感情。・・・・・・・・・。

 うまくいかなくて得る(分る)ことも多い。
 失敗パターン。レジリエンス力。うまくいかなかった人の気持ち。真の仲間・支援者・友。・・・・・・・・・。
 何事もなかったように平然としている力。 http://www.kkkiduki.jp/article/14226229.html

 うまくいった時。うまくいかなかった時。
 いずれも、鍛えるチャンス、飛躍のチャンス、の時である。

 気持ち悪いポジティブなフィードバック。
 お許しください。

Vol.45 2013年2月2日(土)

 妻と子は元気にしております。子は今年中学生になります。気力、体力に溢れています。子が優れているとか、凄いとかではなく、若さには恐ろしいほどのパワーが秘められているということです。

 今日は成人式です。”暴れている””無礼な””非常識な”二十歳もいるのでしょうね。今の、いわゆる大人は、社
会や時代は、かつての自身のことは棚に上げ、若者の未成熟さ(不安定さ、いびつさ、ゴツゴツ感、アンバランスさ
等)を許容(受容)する余裕を失っています。時代は変わり、競争状況や職場の様子がかつてとは様変わりしてい
ることは事実です。とはいえ、なんでもかんでも時代のせいにしてよいはずがありません。

 若者の未成熟さが発するパワーは魅力的です。恐れや嫉妬、妬みを感じることさえございます。

 私の若さゆえの未成熟のパワーを、K課長はどのように捉え、認識されていらっしゃったのでしょうか。今度お会いしましたら話を聞かせてください。

 Kさんへの恩返しの一つは、K課長のように、若者の未成熟さを許せる(受け入れることができる)者に私がなる
ことかもしれません。未成熟さに過度に反応しない(説教したり、諭したり、教えようとしない)ことも大事な気がしま
す。心がけてみます。

 奥様やお子様はいかがされていらっしゃいますでしょうか。 くれぐれもよろしくお伝えください。
 お体ご自愛ください。

 ※Kさん・・・現在70歳、九州在住、私が20代後半の頃の上司(当時課長で40代中盤)

Vol.44 2013年1月25日(木)

 「耕二。(退官したら、)お前に連絡場所は教えない」。
 研究書や文献が無造作に山ほど積まれた研究室で、大学教授をあと一年ほどで辞するO先生は、私に言いまし
た。先生とやっと、自然体で、”差し”で、話せるようになった、40代半ばの頃のことです。大学を卒業して20数年
の歳月が過ぎていました。先生の”凄さ”が多少分かり始めていました。

 仕事のストレス。リーマンショック。父母の老い。義母を介護していた義姉の病。理想と現実。閉そく感。焦り。怒り。・・・・・。

 先生に聞いて欲しいこと。先生と語り明かしたいこと。山ほどありました。

  「先生は、隠居しようというのか(俺たちを見捨てるつもりなのか。この時代に背を向ける気か)」。先生から何の返答もありません。そもそも、なぜ連絡を断つのか。理由すら先生は話してくれません。

 先生に謝らなければなりません。
 今思えば、私は、先生に、甘えたかったようなのです。先生を頼りにしたかったようなのです。今思えば、ただそ
れだけのことです。

 甘えられたり、頼りにされたりすることはあっても、甘えたり、頼りにすることは難しくなる。とうの昔に、私はそんな歳に達しています。バカバカしいほど当たり前のことを、先生は私に教えたかったのかもしれません。

 「そんなに怒るな、耕二。別れは必然だ。それは突如やってくるかもしれない。ならば今宵は、酒を飲みかわし、ただただ楽しもうじゃないか」。先生はこういういことを伝えたかったのかもしれない。

 コノサカヅキヲ受ケテクレ
 ドウゾナミナミツガセテオクレ
 ハナノアラシノタトヘモアルゾ
 「サヨナラ」ダケガ人生ダ
 井伏鱒二(2004)『井伏鱒二全詩集』岩波書店,pp.59

 先生は、「袂を別つ覚悟も必要」ということを伝えたかったのか・・・。

 「予は都合あり、予備門を退学せり。志を変じ、海軍において身を立てんとす。愧ずらくは兄との約束を反故にせしことにして、いまより海上へ去る上はふたたび兄と相会うことなかるべし。自愛を祈る」
司馬遼太郎(1999)『坂の上の雲(一)』文藝春秋,pp.211

 「俺は俺の”やりたいこと”を、”やりたいように”やる」「お前もお前の”やりたいこと”を、”やりたいように”やれ。昔(学生)の頃のように」。先生はこう私に言いたかったのかもしれません。

  いや、先生には、私に言いたいこと、伝えたいことなど何もなかった。先生には事情があった。ただ、それだけの
ことだったのかもしれません。
http://www.kkkiduki.jp/article/14226229.html

 先生との別れ。私に甘えを絶つ覚悟を芽生えさせました。 近年の親族との永久の別れも同じです。

 親しい方、愛する方との別れ。覚悟する等の学習を支援する上において有効なのかもしれません。

Vol.43 2013年1月12日(土)

  お母さん(義母)は、ある意味、「心でっかち」な方でした。

  「心でっかち」というのは、知識と行動のバランスがとれていない「頭でっかち」のように、心と行動のバランスが
とれなくなってしまっている状態です。心の持ち方さえ変えればすべての問題が解決される、と考える「精神主義」
がその極端な例です。心でっかちは、その結果、たとえば竹やりでアメリカ軍にたちむかうなどといった、とんでも
ない行動を生み出してしまいます。

山岸俊男(2002)『心でっかちな日本人』日本経済新聞社,pp.3

  「心でっかち」ゆえ、お母さんの葛藤や悩みは、おそらく、私が想像する以上に、大きかったのではないかと思います。

   多くの場合、心でっかちは、もっと目立たないかたちで私たちの思考に入り込み、私たちの「現実を見る目」を微妙に曇らせてしまいます。
山岸俊男(2002)『心でっかちな日本人』日本経済新聞社,pp.4

 「心でっかち」には、愛すべき人物である方が多いように思います。 とはいえ、「心でっかち」にとっては厳しい時代です。心が、ひいては身が持たない時もある。
 「頭でっかち」の”術”も身につけてほしい。 特に、「心でっかち」な経営者やリーダーの方々は・・・。

 「頭でっかち」というのは、だれでも知っているように、知識や理屈ばかりで行動が伴ってない状態を指す言葉で
す。つまり、具体的な経験(身体)と、抽象的な現実理解(頭)とのあいだのバランスがとれておらず、「現実を無視
した理論」だけで現実を理解しようとする人が、頭でっかちな人です。

山岸俊男(2002)『心でっかちな日本人』日本経済新聞社,pp.3

 頭でっかちな学者先生のアドバイスを、現場の人たちはそのままでは鵜呑みにしようとはしません。この意味では、「頭でっかち」が、私たちにそんなに大きな損害を与えることはありません。
山岸俊男(2002)『心でっかちな日本人』日本経済新聞社,pp.3

 「心でっかち」なお母さんのおかげで、私と妻は結婚に至りました。http://www.kkkiduki.jp/article/14366549.html

 謹んで御礼申し上げます。
 これまでと同様に私たちをお守りください。
 合掌

Vol.42 2013年1月1日(火)

 2012年のNHK紅白歌合戦。
 AKB、きゃりーパミュパミュ、斉藤和義(やさしくなりたい:『家政婦のミタ』主題歌)など、世相を映し出す鏡のようです。 http://www1.nhk.or.jp/kouhaku/history/history_63.html

 世相を読み解いたり、ブランディングを考えたりする上で、紅白歌合戦は観て(視聴して)損はないように思います。

 美輪明宏(ヨイトマケの唄)さんには聴き入ってしまいました。凄すぎる・・・。格が違う・・・。
 You Tube  http://www.youtube.com/watch?v=9MROcVq6r7Q
 Wikipedia

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%B1%E3%81%AE%E5%94%84

Vol.41 2013年1月1日(火)

 2009年10月 義姉   2011年4月 実母   2012年4月 義父
 私は、いまだに死というものを受け入れることができません。
 死に係る経験や学習が十分でないからでしょうか。

 死を間近に垣間見ることがこの数年続き、生ある者がその知識やノウハウ、経験、その他諸々を、次の世代に伝え、繋いでいくことの大事さを感じます。

 エリクソンによれば、もしもこの時期※に、世代継承性という課題をクリアできなかったら、そのひとは、中年を境に停滞してしまう。この課題がクリアできると、若い世代の世話(ケア)がしっかりできるという新たな徳が備わるよ
うになる。

金井壽宏、守島基博(2009)「漸成説からみた早期よりのリーダーシップ開発」『組織科学』第43巻第2号,pp.59 ※この時期 → 中年期  木下補足

 たかだかの人間でありますので僭越なのですが、真摯に頑張っている一人でも多くの方をお世話(ケア)できれ
ばと思います。
次世代(他者)のために。組織、社会や国のために。いいえ、利己的に、私自身のためにです。
自身が前に進む(停滞しない)ためにです。

 「なぜ育成しなければならないのですか?」 「そんな時間、私にはありませんよ!」「何の得がありますか!」

 問い詰められることが増えました。
 
実情を知っていればいるほど、答えに窮します。

 「育成する人自身の前進」「世話−ケア−という徳の獲得」。
 答えなのかもしれません。
 きれいごとでしょうか・・・。 

Vol.40 2012年12月31日(月)

 解かなくてよい問題を、あたかも解くべき問題として位置づける。実際に解く。『 ”なんちゃってイシュー”の Big Issue 化 』は経営において資源の浪費を生み出します。
 http://www.kkkiduki.jp/article/14663518.html

 逆も要注意です。いえ、逆の方が要注意です。
 解くべき問題を、あたかも解かなくてもよい問題として位置づける。実際に解かない。
 『 Big Issue の”なんちゃってイシュー化"』です。 
 意図してやれば、逃避、先延ばし、付け焼き刃的な延命・・・、です。資源の浪費どころではありません。
組織に致命傷を与えます。
 志ある、責任感の強い、真っ当(まとも)な経営者、リーダー(以下、リーダーと略す)にとって、Big Issue と対峙する時代が、これから先ずっと続きます。リーダーのストレスは、今後増えることはあっても減ることはないでしょう。
 従業員の危機感のレベルを過度に高めない(過剰に心配させない)ために、Big Issueを”なんちゃってイシュー"
としてカムフラージュした方が望ましい状況が今後増えることと思います。リーダーの孤独感も、今後増すことはあっ
ても減ることはない・・・。

 リーダーは、その任を果たすためにはタフである必要があります。リーダーは同志を持った方がいい。強く思います。
 自問自答しました。
 「リーダーの逃避、先延ばし、付け焼き刃的延命に加担していないか?」「リーダーの孤独に寄り添っている
か?」「逃避していないか?」「タフか?」「同志はいるか?」

 
年の瀬、例年通り、本年を(2012年)を振り返り、来年(2013年)の構想を練っています。
  【昨年(2011年暮)版】
   2011年を振り返り2012年の構想を練る その1  http://www.kkkiduki.jp/article/14219581.html
   2011年を振り返り2012年の構想を練る その2 
http://www.kkkiduki.jp/article/14225455.html

 なかなか、すっきりしません(整理できません。解けません)。  年を跨ぐ宿題(Big Issue)です。
 
初詣(土橋神社)や初売りの買い物の折にでも解いてみます。
 http://www.tokyuensen.com/ensen/ensenComment.php?ct=view&ie=6998&PHPSESSID=3a4bihlrufmcf6le1pbeb25742

Vol.38  2012年12月22日(土)

 某社経営会議において、彼は、ポイントを捉えた発言、フィードバックができません。
 気の利いた一言を発することができません。
 何を話せばいいのか、途方にくれています。
 その場でやりとりされている事柄や情報が論点であるのかどうなのか。判断できません。
 彼は、某社の●●という独自技術、ビジネスプロセス、KFS(Key Factor for Success)、顧客、競合、収益構造
などを十分に理解できていません。
 彼が、気の利いた一言を述べたり、論点を掴むことができないのは、当然です。
 彼とは、私です。
 コンサルタント失格です。

論点を見極める(外さない)
ミーティング、会議、打合せの効果・効率を高めたり、的を射た戦略を立案・実行したりする上で、極めて重要です。

 論点
 議論の要点。議論すべき中心点。「―が定まらない」
 株式会社岩波書店 広辞苑第五版

  論点
 the point at issue [in dispute]
 [新英和(第7版)・和英(第5版)中辞典 株式会社研究社

  A) a matter that is in dispute between two or more parties
   2つ以上の集団の間で決着のついていない問題
 B) a vital or unsettled matter
    根本に関わる、もしくは白黒がはっきりしていない問題
 AとB両方の条件を満たすものがイシューとなる。

 安宅和人(2010)『イシューからはじめよ』英治出版株式会社pp.25

 論点を外したミーティング、会議、打合せの効果は0以下です。
 0以下とは、効果がマイナス、つまり何の益にもならない、むしろ害を及ぼす、開催しない方がよい、ミーティング
や会議、打合せの発生に論点のズレが関与することを意味しています。
 的を射ていない戦略で熾烈な競争環境下を生き残れるはずもありません。
論点を見極める(外さない)
リーダー、マネジャーの重要な責務の一つです。
 とはいえ、論点を見極める(論点を外さない)ことは容易ではありません。

 論点思考がむずかしいのは、論点候補が無数に存在し、その中からこれはと思う論点を見つけて深掘りしなくて
はならないこともあるが、それに加えて、論点が動くからである。

 なぜ動くかといえば、それは、
①論点は人によって異なる
②環境とともに変化する
③論点は進化する
からである。

内田和成(2010)『論点思考』東洋経済新報社pp.67-68

Amazonロゴ小

論点思考←click!

「なんちゃってイシュー」を、 Big Issue と勘違いする時があります。注意する必要があります。
 世に言うフリーライダーなど、無意識に、あるいは確信犯的に、なんちゃってイシュー”を、あたかも Big Issue
のようにすり替える
方がいます(どうでもいい問題を解く)。

 実は、世の中で問題だと言われているもの、調べてみようと思うことの大多数は、今、本当のところは答えを出
す必要がないものだ。そうした「なんちゃってイシュー」に惑わされないことが大切だ。
安宅和人(2010)『イシューからはじめよ』英治出版pp.59

 ”なんちゃってイシュー化”を先生は矮小化と呼んでいたのだと思います。
http://www.kkkiduki.jp/article/14646087.html 

 互いの論点の違いについて率直にコミュニケーションすることが難しい(互いに自身の論点に固執する)状況に
陥ることもあります。
エネルギーや時間は限られています
 熾烈な競争環境下において勝ち残るためには、戦略は的を射なければなりません

リーダー、マネジャーは、ミーティング、会議の議題や、自身の問題意識の対象が、そもそもBig Issue であるか
どうかについて、そして Big Issue に力を注ぐことに、十分過ぎるくらい、注意を払う必要があります。

 今さらですが、気づきました。
 その人物の論点は、その人物そのものであると。
 その人物の論点から、その人物の、
●立ち位置や視点
●能力(知識、スキル、態度)、経験の高低・広狭・深浅
●志の有無やその大小
●興味や関心の対象
●思惑、意図
などが推測できます。

Vol.37  2012年12月9日(日)

 「木下さんは話しを矮小化している」
 某社経営会議の席上で、先生(先輩コンサルタント)が、私には一瞥もくれずに、経営トップ、経営幹部を前にして、言葉を発しました。
 頭から湯気が立ち上っているようです。
 私が経営コンサルタントとして駆け出したばかりの頃(2001年頃)のことです。
 「何について議論していたのか」「私が何を矮小化したのか」。
 思い出せません。
 気が動転していたのでしょう、
 自宅に帰り、矮小について調べました。

 矮小
 ①たけが低く小さいこと。「―な体」
 ②いかにも規模の小さいさま。「問題を―にとらえる」「―化した見方」
 [株式会社岩波書店 広辞苑第五版]


 「拘泥するな」「ちまちまやるな」「大きく捉えよ」「本質を見失うな」「目的をチャンクアップせよ」「枠を外せ」「ごま
かすな」「お茶を濁すな」・・・。

 当時、先生のおかげで、上記のことをあらためて学習(再認識)させてもらいました。
 それ以来、私は常に矮小を意識するようになりました。
 「この話し(問題)はもっと大きな観点から議論すべきではないか?」
 「この話し(問題)はこんな大きな話し(問題)ではない−とるに足らない話(問題)だ−・・・」
 ・・・・・・
 ・・・・・・
 ・・・・・・

 

 つい先日、先生から手紙を頂戴しました。 「引退いたしき旨申し入れました(経営コンサルタントの第一線を退かれる)」とのこと。
 今の私に関して申しますと、10年前と比較し、「意図して矮小化する(そうしないと心がやりきれなくなる)」ことが増えました。 
 近々、先生に相談させていただこうかと思っていました。
  「木下さんに教えることはありませんよ」
 先生の手紙は私に優しく語りかけているように思えます。

 10年前の、頭から湯気を立ち上らせている先生の形相を思い出すに、先生が第一線を退かれるのは、もしかすると、「”矮小化(するご自分)を先生は許せないから”ではないか?」。
 そんなことを思ったりもします。

 先生からは本当に沢山のことを教えていただきました。
 言葉では言い尽くせません。
 僭越ながら、先生は「余人をもって代えがたい人」でありました。
 謹んで御礼申し上げます。

 

 

Vol.36  2012年11月3日(土)

 早朝、夜が白々と明けようとしている頃、澄みきった空の下、私はある道を歩くことに小さな幸せを感じます。自
宅から駅に向かう途中にある、200メートルほどの、ほぼ直線の道です。道を、自宅に近い方の端から見ると、下
り道が続き、道のほぼ真ん中で底となり、それから上り道となり、そしてその道は終わります(T字に分かれます)。
谷に下り、そして上るような感じです。

  この道の端に立ち、延びる道、澄みわたる空、その空にぽっかり浮かだ月を見ていると、
『スッキリ』、『吸い込まれる』、『広々』、『大きい』、『美しい』、『晴々』、『神々しい』、『突き抜ける』、
『自由』、『未来』、『永遠』、『繰り返し』、『希望』、『楽観(どうにかなるさ)』・・・。
 ポジティブな感情が湧いてきます。
 仕事や自身の考え方、リスクへの万全な対応等が原因で、私はネガティブな感情を抱くことにはこと欠きません。
 ネガティブな感情は重要です。
 しかし、ポジティブな感情を、ネガティブ感情以上にたくさん味わいたいと思っています。
 バーバラ・フレデリクソンはポジティブ感情の種類、効果(ポジティブ感情の拡張形成理論)について以下のように
述べています。

   ポジティブ感情の代表的なものは次の10の感情です。①喜び(Joy)、②感謝(Gratitude)、③安らぎ(Serenity)、
④興味(Interest)、⑤希望(Hope)、⑥誇り(Pride)、⑦愉快(Amusement)、⑧鼓舞(Inspiration)、⑨畏敬(Awe)、
⑩愛(Love)。

バーバラ・フレデリクソン、植木理恵(監)、高橋由紀子(訳)(2010)『ポジティブな人だけがうまくいく3:1の法則』
日本実業出版社pp.72

  ネガティブ感情は「何ができるか?」を考える思考の範囲を狭くしてしまいますが、ポジティブな感情は、それを
広げる働きをする。さまざまな考え方や行動に目を開かせるのです。

バーバラ・フレデリクソン、植木理恵(監)、高橋由紀子(訳)(2010)『ポジティブな人だけがうまくいく3:1の法則』
日本実業出版社pp.46

  危機に臨んだときにネガティブ感情が思考を狭めることは、ある意味、その瞬間を生き延びるために有効でし
た。一方、ポジティブ感情によって広げられた思考は、もっと長い時間尺度において、別の形で有効に作用したの
でしょう。ものの見方が拡張したことは、長期にわたって、祖先たちのリソースを形成するために役立ったのです。
これらの新たなリソースは、祖先たちが、次に出会う危機に対処して生き延びられるよう、そのための新たな準備
として機能したのでしょう。

バーバラ・フレデリクソン、植木理恵(監)、高橋由紀子(訳)(2010)『ポジティブな人だけがうまくいく3:1の法則』日本実業出版社pp.46 

何か大きなことをやり遂げたり、大きなものを手に入れたりするとポジティブな感情が湧きます。しかし、大きなこ

とをやり遂げたり、大きなものを手に入れたりすることは、そう頻繁に発生するものではありません。また、大きなこ
とをやり遂げたり、大きなものを手に入れたとしても、それで終わりというわけでなく、すぐにまた次の目標が現れます。
 何かをやり遂げたり、大きなものを手に入れた際に私の中で湧き起こるポジティブな感情に、”恒常性(ポジティブ
な感情をいつも味わえる)”や”永続性(ポジティブな感情がずっと続く)”はあまり期待しない方が良いようです。
 日々を楽しく、イキイキを生きる上で、またより質の高い仕事を成功させ”続け”たり、新たなことにチャレンジする
意欲を”持続”したりする上で、”あの道”のように、いつでも、ポジティブな感情を感じることのできる身近なコトや
モノの存在は、大きなことの達成や入手よりも、私にとっては重要であるように感じます。
 職場、組織に少し前まで当たり前に漂っていたポジティブな感情は、今、日本の多くの職場、組織で壊滅的な状
況に陥っているように感じます。

 ギスギスした職場とは、「一人ひとりが利己的で、断絶的で、冷めた関係性が蔓延しており、それがストレスにな
る職場」です。協力性・親和性が高い、血の通った感じがする組織とは逆の職場です。こうした職場では、社員は
孤独感というストレスをもちやすくなります。

 高橋克徳、河合太介、永田稔、渡部幹(2008)『不機嫌な職場−なぜ社員同士で協力できないのか』講談社pp.3

 微力ではありますが、「ポジティブな感情溢れる個・組織を増やす」、「(ひいては)日本をポジティブ感情溢れる国
にする」ために最善を尽くす所存です。

●オープンセミナー・フォーラム
  健康いきいき職場づくりフォーラム  設立記念シンポジウム
      http://www.jpc-net.jp/ikiiki/index.html
  オープンセミナー『ポジティブ・イノベーションの薦め(ポジティブ心理学)』

      http://www.kkkiduki.jp/article/14548513.html
  オープンセミナー『「勝てる組織」づくりのためのライフスキル向上実感セミナー』
   http://www.kkkiduki.jp/article/14604547.html

●ポジティブ心理学の基礎情報
   http://www.kkkiduki.jp/article/14558307.html

●寄稿
 ① ポジティブ心理学を経営に活かし激動の時代を生き抜く!
   http://www.kkkiduki.jp/article/14480362.html
 ② ポジティブ感情による創造性の発揮、資源の形成
   http://www.kkkiduki.jp/article/14535659.html
 ③ 強みを活かし、生産性を高め、繁栄を目指す!
   http://www.kkkiduki.jp/article/14564741.html
 ④ フロー&レジリエンス
   http://www.kkkiduki.jp/article/14604818.html
 ⑤ 幸せが成功に先行する!
   http://www.kkkiduki.jp/article/14645361.html

Vol.35 2012/10/15(月)
足利市駅から徒歩3分に店を構える『居酒屋 安庵・an・an』 。牛すじの煮込み、チヂミ、豆腐サラダ。いずれもリーズナブルな値段で、量があり、美味しい。『泳楽食安』ちーちゃい頃・・・まいんち日が暮れるまで遊んだあの頃を、覚えていますか?自然の中で遊び学んだ山遊びや川遊び・・http://www.howdys.co.jp/shop.cgi?cmd=dp&num=228&dp=

Vol.34  2012年8月11日(土)

  何年ぶりでしょうか。
 ヒューマン・アセスメント研修を受講しました。

 自身の能力開発が受講の目的です。


 取り巻く環境の変化と相まって、「自身が果たすべき役割や責任が大きく変化する時期にきているのではないか」「その役割や責任を果たす上で、自身の強みや弱みはどう作用するのか(プラスに働くのか、マイナスに働くのか)。あらためて確認、理解すべき時期が訪れているのかも・・・」との直感が働きました。

 この直感が受講の動機です。


 「無意識のセルフイメージをあらためてじっくり確認してみたい」という思いもありました。


 ロールプレイ(部下面接)、インバスケット演習、グループ討議、集団折衝を通じて、直感的に理解した、自身の強みと弱みは、以下のようなものです。


【強み】

  1 慎重、ネガティブ、悲観的 → 万全を期す

  2 (1と同時に)楽観的 −オプティミスト−

  3 的確かつ良識的な判断 −的確、判断、良識的−

  4 向上心(学習意欲)


【弱み】

  5 表現が回りくどい、婉曲的 −率直さ、ストレートさ−

  6 判断の先送り −決断−

  7 覚悟が十分でない −覚悟− 

  8 情報を集め過ぎる

  9 人への配慮が十分でない −思いやり、投げやり− 

 10 (要は、)八方美人的傾向
 

 『その「弱み」を活かして成果を上げることに繋げることができているか?』と自問自答すれば、私の回答はすべてYESです。

 上記の「弱み」は、私にとって必ずしも「弱み」ではないようです。

 「あともう一歩どうにかしたら強みにもなりえる」という感覚に近いものです。

 研修で教えていただいた先生は、弱点や改善点ではなく、”啓発点”という表現をされていました。


 「強み」と「弱み」は『コインの表と裏』と言われます。

 基本的に両立は難しい。


 私はあと一年と半年あまりで50歳になります。

 統合、一体化による両立を目指すこととしました。

 どちらか一方ではなく、どちらとも状況に応じて臨機応変に使いこなせることを目指そうと思います。


  私が一皮むけるポイントは、弱み(強みに近い弱み)に列挙されているものにある。

 そう感じます。

 『覚悟を決めること』

 『リスクテイクすること』

 『ストレート(率直)になること・すること』


 先生からのフィードバック・レポートにも同様のことが記述されていました。
 
 その道のプロの方からのフィードバックです。

 先生は私を観察し、私と同様の思いを感じた。

 安堵しています。
 

 組織にとっても、個人にとっても、大きな環境の変化は、これまでの強みを弱みに転化させるリスクを秘めていいます。

 弱みを強みに転化させるチャンスも秘めています。


 節目や移行期は危機である。でも、危機という漢字を見ればわかるように、節目につきものの危機には、「危険」と「機会」がともに存在する。だから、節目にはイケイケどんどんのままではなく、歩みをしばし止めて、内省する必要がある。淵近く(close to the edge)を走っているときに、危機と知っていて、しばしも歩みを止めないというのは、いかがなものか。危険と機会の両方に目をやるためには、淵ではゆっくりあるかないといけない。
金井壽宏(2002)『働くひとのためのキャリア・デザイン』PHP研究所pp71-72

 
 ヒューマン・アセスメント研修の受講を通じてあらためて再認識した自身の強み、弱みを意識し、時局に臨みたいと思います。

Vol.33  2012年6月21日(木)

  その日の経営会議では、昇進した経営幹部が担当部門の将来構想を語る時間が設けられていました。

 若くして抜擢されたH部長が将来構想を語り終えた直後のことです。

 「部長として素晴らしい人格を目指したい?いいことだ。で、それで食っていけるのか?」

 社長がおっしゃいました。

 ほんの数秒ですが、沈黙の時が流れました。

 H部長は、社長の問いの真意をはかりかねたのでしょう。


 社長の言葉には省略(された言葉)があったのだろうと思います。

 省略されたのは、「だけ」という言葉です。

 「で、それで食っていけるのか?」は、省略された言葉を補うと、「で、それ”だ
け”で食っていけるのか?」となります。


 また、”食っていけるのか?”はメタファーが使われています。

 社長の言葉「食っていけるのか?」は、メタファーを使わないと、「儲かるの
か?」、「儲かり続けるのか?」、「経営を継続できるのか?」となります。


 多少の飛躍がある可能性をお許しいただき、社長はH部長に次のようなことを
おっしゃりたかったのではないでしょうか。

 「部長として素晴らしい人格を目指したい?いいことだ。で、人格”だけ”で儲か
るのか?人格”だけ”で儲かり続けるのができるのか?儲かり続ける(経営を継
続する)上で、人格以外にも重要なことがあると私は思うが、君はどう考える? 」

 儲かり続ける(経営を継続する)上で、人格以外に重要なこと、それは一体何
なのでしょうか。

 人格以外の重要なこと、を考えるためには、「人格とは何か」について押さえて
おく必要があります。

 人格には様々な定義があるかと思いますが、「人格」は、「彼は人格者だ」とい
う使われ方をすることから分かるように、
・思いやりがある
・公平である
・自分を犠牲にして他者のために尽くす
・謙虚である
・感謝の気持ちを常に持っている
・人の気持ちを大切に扱う
など、
「多くの人が好ましいと感じる、価値判断的色彩を含んだ、個人を特徴づける持
続的で一貫した行動様式」
とここでは定義しておきます。

 この人格の定義を前提に、

  「で、人格”だけ”で儲かるのか?人格”だけ”で儲かり続けるのができるのか?
儲かり続ける(経営を継続する)上で、人格以外にも重要なことがあると私は思う
が、君はどう考える? 」

という社長の問いに戻ります。


 儲かり続ける(経営を継続する)上で人格以外の重要なこと、とは何でしょうか。
 

  私がとっさに思い浮かべたのは、次の3つです。
 

  一つ目は、権謀術数的な『マキャヴェリ的知能』です。

  先に「多くの人が好ましいと感じる」のが人格だとしました。
 この反対の、「多くの人が好ましいとは感じない」であろうマキャベリ的知能も、
儲かり続ける(経営を継続する)上では必要です。このことを社長はH部長に考え
て欲しかったのではないでしょうか。

マキャヴェリ的知能  Machiavellian intelligence
バーンとホワイト(Byrne,R.&Whiten,A.1988)は、チンパンジーなどの高等霊長類動
物の集団活動において、連合形成やあざむきなど、生き残るために発揮される様
々な権謀術数的行動を観察した。そこでバーンらは、物理的世界で事物を処理す
る時に発揮されるテクニカルな知能に対し、社会的世界で他の個体(個人)をどう
扱うかに関して発揮される能力のことをマキャヴェリ的知能とよんだ。

中島義明、安藤清志、子安増生他(1999)『心理学辞典』有斐閣 pp.807
『Wikipedia』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%99%E3%83%AA%E7%9A%84%E7%9F%A5%E6%80%A7%E4%BB%AE%E8%AA%AC 

 二つ目は、『合理性(論理の法則)』です。
 言うまでもないことで恐縮ですが、合理性(論理の法則)」は儲かり続ける(経営
を継続する)上で大変重要です。戦略論(戦略フレームワーク)、因果や影響を考
える際にベースとなる統計学的基礎知識などについて社長はH部長に「今一度しっ
かり勉強し直せ!」と伝えたかったのではないでしょうか。
 H部長は人情家でもあります。社長は「合理に徹すべき時は徹せよ」「人情と合
理は切り離せ(脱浪花節)」ともおっしゃりたかったのではないでしょうか。

  三つ目は、バランス力です。
 何と何のバランスのなのか。儲かり続ける(経営を継続する)上で人格以外の重
要なこととして既に挙げた、『マキャヴェリ的知能』と『合理性(論理の法則)』のバラ
ンスです。

  『マキャヴェリ的知能』と『合理性(論理の法則)』が相乗化される際のリスクを抑
止するために、この両者のバランスをとる力が儲かり続ける(経営を継続する)上
では必要です。

 リスクとは、経営トップ、リーダー、マネジャー等の「マキャヴェリ的知能」と「合理
性(論理の法則)」が組み合わさり、そしてそれらが一体化してひきおこす経営の
暴走です。

  経営の暴走により、儲からなくなるばかりか、経営の存続に著しく困難をきたす状
況を私は間近で多々見てきました。

  「マキャヴェリ的知能』と『合理性(論理の法則)』は互いの力によってその力をよ
り発揮できます。その際、互いの力を過剰に活用し過ぎない(各々の力を発揮し過ぎ
ない)ことが肝要です。この点、微妙なさじ加減が求められます。

  社長は、「マキャヴェリ的知能」と「合理性(論理の法則)」について、この両者が一体化した場合の恐ろしさ、危険性を、肌身を持ってご存じなのでしょう。 

戦略論とマキャベリズムの相性
戦略論とマキャベリズムの手法は互いに相性が良くて、戦略論を得意とするリーダー
がマキャベリズムを取り入れたり、逆にマキャベリズムの行動パターンの人が「理論
武装」と称して戦略論を振り回し始めると、皆は怖いから社内でまともな議論などでき
ないまま、とんでもない戦略がまかり通るようになる。そのトップがよほど天才的経営
者でもない限り、やがて自作自演のものすごい失敗をしでかしその会社は破綻に至
る。一九八〇年代中頃にマスコミでちやほやされたあと倒産したベンチャー企業の経
営者のほとんどがこのパターンだった。
三枝匡(2003)『経営パワーの危機 会社再建の企業変革ドラマ』日本経済新聞社pp.389-390

 ところで、 「マキャヴェリ的知能」と「合理性(論理の法則)」のバランスをとると述べ

ましたが、何がバランスをとるのでしょうか。バランスをとる主体は何なのでしょうか。

   その一つが、「人格の力」ではないでしょうか。

  人格とは、
・思いやりがある
・公平である
・自分を犠牲にして他者のために尽くす
・謙虚である
・感謝の気持ちを常に持っている
・人の気持ちを大切に扱う
など、「多くの人が好ましいと感じる、価値判断的色彩を含んだ、個人を特徴づける持
続的で一貫した行動様式」です。

 (先の定義では述べませんでしたが、人格のバックボーンには、遺伝は当然として、
私は信念や信仰といった、形而上学的な何かが広がっているような気がしています。)

  この「人格の力」が、「マキャヴェリ的知能」と「合理性(論理の法則)」のバランスをとることに一役買っています。

 「人格の力」には、「マキャヴェリ的知能」と「合理性(論理の力)」がお互いの力によっ
て過剰に発揮されることをコントロールする役割があるとも言えます。

  昇進、昇格やプロジェクトリーダーへの登用等においては様々な任用基準があるか
と思いますが、「マキャヴェリ的知能」と「合理性(論理の法則)」、そして「人格の力」の
3つの基準で考えた場合、他の部長候補者と比べてH部長に明らかに歩があったの
は「人格の力」です。

  「人格の力」を持つH部長であれば、「マキャヴェリ的知能」と「合理性(論理の法則)」を発揮しつつ、そして両者のバランスをとることもできる(暴走しない)。

 社長は、直感的にこのように考え、H部長を抜擢されたのではないかと推察します。

  科学的実証を踏まえない、私的な見解ですが、「人格の力」、「マキャヴェリ的知能」、
「合理性(論理の法則)」の中で、育成(教育)すること=変化させること、が総じて最も難しいのが「人格格の力」であるように思えます。

  競争に打ち勝ち、経営を継続するためには、「合理性(論理の法則)」「マキャヴェリ的知
能」をますます発揮しなければなりません。

 「人格の力」の重要性はなお一層の高まりをみせると考えられます。

  だからこそ、「H氏を部長に」という抜擢人事が行われたとも言えます。

 対極にある二つの人間性
 私の場合は、会社で仕事をし、また研究をする世界ではとことん合理主義であり、絶
対不思議なことは許さない。ところが、一歩会社を離れれば、その対局にある仏の世
界など、精神的な領域も信じられる。問題になるのは、そのように対極にある二つの人
間性がバランスを失っている場合です。仏の世界に没頭し、形而上学的、宗教的なも
のに傾斜すると、それを経営の場に持ち込む人がいます。極端な博愛主義(わけへだ
てのない平等な愛)で指導をするコンサルタントもいるようですが、これはとんでもない
話です。私は経営論においても「利他」の重要性を説いていますが、これにはちゃんと
合理性があるからお話ししているのです。ビジネスの世界では、徹底した合理主義、し
かし、それ以外ではロマンチストであり、形而上学的なことも考えられる人間でなくては
なりません。この両目のバランスがとれていなければ、一流の経営者にはなれないの
です。
稲盛和夫『京セラフィロソフィ』盛和塾事務局pp.230

 経営、ビジネスにおいては、「人格の力」が「マキャヴェリ的知能」や「合理性(論理の
法則)」よりも重要、とは私には思えません(言い切れません)。いずれの力・能力も、
経営を担う次代のリーダーやマネジャーにとっては必須なのだと私は思っています。

 プライベートな付き合いであるなら別です。
 「人格の力」が最も重要。そう言い切れますが・・・。

 

【補足】

だけ【丈】 助詞 (副助詞)
(「たけ(丈・長)」から生じた語。タケと清音でも。体言・活用語の連体形を受ける)
①それと限る意。のみ。「彼はそれーが楽しみだ」「2人ーで話す」
②及ぶ限度・限界を示す。「やれるーのことはやる」
③その身分・事情などに相応する意。「年長者―あって分別がある」
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]

メタファー
〔修〕 <隠喩・暗喩>  metaphor
[新英和(第7版)・和英(第5版)中辞典 株式会社研究社]

隠喩
隠喩法の略。また、隠喩法による表現。暗喩。
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]

隠喩法(metaphor)
①ある物を別の物にたとえる語法一般。
②修辞法の一。たとえを用いながら、表現面にはその形式(「如し」「ようだ」等)を出さ
  ない方法。白髪を生じたことを「頭に霜を置く」という類。暗喩法。⇔直喩法。
③修辞法の一。複数の物を内的・外的属性の類似によって同一化する技法。⇔換喩法
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]

性格 character
個人を特徴づける持続的で一貫した行動様式を性格という。語源は、ギリシア語で「刻
みつけられたもの」「彫りつけられたもの」を意味することから、基礎的で固定的な面を
さすこともある。人格(パーソナリティ)と同じような意味で用いられることもあるが、習慣
的には、人格が個人が保っている統一性を強調しているのに対し、性格は他者とは違っ
ているという個人差を強調する際によく用いられる。また、人格には価値概念が含まれ
ており、評価された性格が人格であるという見方もある。
中島義明、安藤清志、子安増生他(1999)『心理学辞典』有斐閣 pp.480

パーソナリティ personality
人の、広い意味での行動(具体的な振る舞い、言語表出、思考活動、認知や判断、感情
表出、嫌悪判断など)に時間的・空間的一貫性を与えているもの、 と定義される。似た言
葉に気質(temperament)があるが、この場合は遺伝的な影響の大きいものを想定し
ている。性格(character)との区別は実際のところさほど明確ではないが、character
が「刻みつけられたもの」という意味の言葉から派生し、personalityが「仮面」(ペルソ
ナ persona)という言葉を語源にもつことからわかるように、後者には、比較的変化のあ
る外界との適応のさまを表面的に捉えたものであるという意味がある。なお日本語の「人
格」には「人格者」という言葉があることからわかるように価値判断的色彩が強いので、
学術的にはパーソナリティという表現が好まれる傾向にある。
中島義明、安藤清志、子安増生他(1999)『心理学辞典』有斐閣 pp.686

Amazonロゴ小

心理学辞典←click!

合理
道理にかなっていること。
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]

合理性
①道理にかなっていること。論理の法則にかなっていること。
②行為が無駄なく能率的に行われること。
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]

合理主義(rationalism)
一般に理性を重んじ、生活のあらゆる面で合理性を貫こうとする態度。
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]

道理
①物事のそうあるべきすじみち。ことわり。「そんなことが許される―がない」
②人の行うべき正しい道。道義。「―にはずれた行為」
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]

形而上学(metaphysics)
(元来「自然学の後に置かれた書」(ta meta ta physikaギリシア)の意で、ロドスのアン
ドロニコスがアリストテレスの死後、著書編集の際に、存在の根本原理を論じた書を自
然学書の後に配列したことに由来)
①アリストテレスのいう第一哲学。哲学史・問題集・定義集・実体論・自然神学の5部か
  ら成る。
②現象を超越し、その背後に在るものの真の本質、存在の根本原理、存在そのものを
  純粋思惟により或いは直観によって探究しようとする学問。神・世界・霊魂などがそ
  の主要問題。
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]

著書

2023年4月発売 
ダイナミック・ケイパビリティのフレームワーク: 資源ベース再構成の組織能力
http://amazon.jp/dp/4502450316
発行所:中央経済社 
統合的な調査・分析の枠組みに基づき、グローバル・ニッチ・トップ企業のM&Aに係るダイナミック・ケイパビリティの実相を、ミドルマネジメントの観点から探究

著書

2014年9月発売 
仕事の基本(経営コンサルティング・ノウハウ2)
http://amazon.jp/dp/4502114219
発行所:中央経済社 

マネジメントの振り返り(内省/ リフレクション)に役立つ!