Vol.56 2013年8月12日(月) 中学校一年生の息子が上京しました。彼が室見(福岡県福岡市)に帰る前夜、晩飯を一緒に食べながら、「中学生になって4ヵ月の間でどんなことを勉強したの?どんなことが分かったの?」と聞いてみました。
「幾何の●●が・・・」なんて言われても私はさっぱり分りません。回答から学習指導要領等に則って行われる中学校の授業の中で教えてもらうことは除外してもらうようお願いしました。
① 教えてもらうことは役に立つ。
↑
教え上手な学友に勉強を教えてもらったら物凄く分かりやすく、ためになった。
② 早飯、早走りは役に立つ。
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昼食時の食堂で飯を食べる時は急がないと(ちょっとでも送れると)、並んだりする時間がもの凄くかかって しまう。
③ 全力を尽くすことは大切だ。
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サッカーのロスタイムであきらめずに力いっぱいプレーしていたら、2度、3度、逆転できた。
④ 友達は大切だ。
↑
?? 不明
⑤ 冷静に考えればいろいろな考え(方法、手段)が頭に浮かぶ。
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?? ※私の判断により記載は控えます。
⑥ 笑うと嫌なことを忘れて気持ちが良くなる。
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?? 不明
⑦ 体を大切にする。
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右腕を骨折して部活の練習がしばらくの間できなかった。
⑧ 自分のことを理解してもらうことは大切。そのためには発信が、発信には勇気を必要。
↑
ある集団の前で、あることに関する自分の状況、見込み、意向・意気込みを説明・周知、宣言した。
⑨ 悔しさはやる気の元になる。
↑
骨折でレギュラーになるチャンスを活かせず。
上記⑦〜⑨(の上段に記していること)を彼が口にするために彼は私の支援を必要としました。①〜⑥について
は、彼は私からの支援を要せず、多少の時間をかけたどたどしくはありましたが、独力で口に出すことができまし
た。2、3年前から大きく成長したものです。http://www.kkkiduki.jp/article/14220094.html
彼は、この夏、自身の4ヵ月に亘る具体的な経験を抽象化し、彼なりの、たどたどしくも力強い素朴なマイセオリーをこしらえました。
個人は①具体的な経験をし(具体的な経験)、②その内容を振り返って内省することで(内省的な観察)、③そこ
から得られた教訓を抽象的な仮説や概念に落とし込み(抽象的な概念化)、④それを新たな状況に適用する(積
極的な実験)ことによって学習するのである。ここで重要なことは、経験そのものよりも、経験を解釈して、そこから
どのような法則や教訓を得たかということである。言い換えれば、たとえ二人の人間が同じ経験をしたとしても、経
験の解釈次第で学習内容は異なり、その後の行動も変わるといえる。
松尾睦(2006)『経験からの学習』同文館出版pp.62

経験からの学習-プロフェッショナルへの成長プロセス-←click!
彼はマイセオリーを作ることで、この4ヵ月の具体的な経験をあらためて理解できたようでもありました。
理論は実践の理解を促す効用を有しています。
http://www.kkkiduki.jp/article/14840971.html
翌朝彼は、羽田に着陸する飛行機を横目に見ながら多摩川の河口付近で自転車をこいでいました。
汗びっしょりです。
『彼が今後の人生を通じて作る様々なマイセオリーが、彼の人生を良い方向に導いてくれますように』
彼の後姿にこっそりお祈りしました。
最近、お祈りする人の心情や気持ち、状況が少しばかり分ってきたように思います。
私も彼と同じように新たなマイセオリーを手にしつつあるのかもしれません。
自分の、 中学校一年生(1975年、昭和51年)の頃のマイセオリーはどんなもんだったかな?
彼を見ていたらタイムスリップしてみたくなりました。
やけに純粋過ぎていたり、過激であったり・・・。ひどく偏っていたり、尖がっていたり・・・。
スマートだったとは、バランスがとれていたとは、とても思えません。
しかし、その分、強かった(頑強であった)ように思います。
2013年夏の私のマイセオリーはどうでしょうか?
http://www.kkkiduki.jp/article/14225771.html
今夏は妻の母の初盆です。
時が止まったような空間で今(2013年夏)の自分のマイセオリーについて思索してみようと思います。